よく晴れた早朝の首都プロンテラ。
まだ陽が差し込んで間もないため、空気は未だ冷えていて眠気を取り去っていく。
そんな早い時間から開店しているテイミング商人のお店で出仕途中のプリーストの青年、雪乃は買い物していた。
「いらっしゃい、雪乃くん。いつもので?」
「はい、いつものを6つお願いします」
と、若い女店主から猫の絵が書かれた缶を6つ受け取り、代価を払う。
そして、自前の買い物袋に缶をしまう。ちなみに買い物袋は雪奈の手作りでうさぎのアップリケがついてる。
「まいどありー。いつもありがとね」
「いえいえ。こちらこそわざわざ取り寄せてもらえて、助かってます」
それでは、仕事がありますので―――と一礼して店をあとにする雪乃。
「またのお越しを〜」
女店主は手を振って雪乃を送り出した。



Ragnarok Online Short Story 『ふれーく』



雪乃は買い物を済ませて、大聖堂への道を歩いていると
「ゆっき」
と、不意に後ろから法衣の裾を引っ張られて足を止める。
肩越しに後ろを振り向くと、そこには長い金髪を後ろで束ねたアサシンの装束に身を包んだ少女がいた。
彼女の頭にはちょこんと丸い帽子が鎮座している。
「おはよぉ、ふれふれ」
雪乃は体ごと振り向いて、挨拶をする。
「おはよー」
ふれふれ、と呼ばれた少女…フレークは法衣の裾から手を離して、挨拶を返す。
「はい、これ」
買い物袋を差し出す雪乃。
「…」
フレークは買い物袋受け取ると無言で、じー…と袋を注視している。
「ふれふれ?」
雪乃はどうしたのかと思い、声をかけると
「うさぎさん…」
という、呟きが返ってきた。
どうやら、うさぎのアップリケを見つめているらしい。
「それ、気に入った?」
「うんー」
こくん、と頷くフレーク。
「雪奈に頼めば、それと同じようなのを作ってくれると思うぞ」
「じゃあ、お願いしてみるー」
こくこく、と二回頷くフレーク。それを見てにこにこして、相好を崩す雪乃。
「それじゃあ、それ持って先にいつものとこに行ってて」
「ゆっきは?」
「わたしは、雪流の練武に付き合わないといけないから」
「わかった。またねー」
フレークは手を振ると、大聖堂へと駆けて行った。
「またあとでー」
雪乃はひらひら、と手を振って、小さくなっていくフレークの後ろを姿を見送った。

 

「練武、始め!」
雪乃の凛とした声が大聖堂の中庭に響き渡たった。
開始の合図とともに、中庭に集まったアコライトたちが「はい!」、と元気良く返事をし、ふたりずつに別れて組み手を始める。
アコライトたちの朝は、プリーストを目指す者達は礼拝、モンクを目指す者達は練武となっている。
なので、雪乃はアコライトたちの体術指南役をラピスから任されている。
といっても―――
「ゆきにぃ、はやくはじめよー」
「はいはい…」
特に言うこともなければ、雪流と組み手しかしてないのだが…。
「むぅ、ゆきにぃ…覇気が無いよ!」
苦笑しながら気のない返事をする雪乃に対して、腰に手を当てると人差し指を立てて説教する雪流。
お姉さん的な説教ポーズだが、雪流には似合ってないうえに微笑ましくて、雪乃は思わず笑みをこぼしてしまう。
「あはは。わかったから、さっそくはじめよう」
そんな雪乃の態度が不満なのか、頬を膨らませて、びしぃ!と雪流は眼前に指を突きつける。
「その余裕の笑みも、今のうちなんだからね!」
そう宣言すると空いている場所へ駆け出して
「ゆきにぃ、はやくー!」
到着すると、ぶんぶん、と手を大きく振って雪乃を呼ぶ。
お説教してみたり、頬を膨らませたりしていたが、雪乃の態度に不満などなく、雪流は大好きな兄と組み手をするのが
楽しみで仕方ないのだ。
「はいはい」
雪乃はやはり微苦笑して、雪流のもとへ駆け出した。




中庭の端へとやって来た雪乃と雪流は、数歩分、間を空けて対峙していた。
「ゆきにぃ、ルールは?」
「体術の稽古なんだから、いつも通りの武器なし、術なしだよ」
ちなみに、アコライト達も同じくルールで組み手をしている。
「たまには、全開でやりたいんだけどなぁ」
と、こぼしつつ左半身に構えをとる雪流。
「朝は、術なしって決まってるんだから、しょうがないさ」
雪乃も構えをとるが、足を肩幅に開いただけで両手はだらりと下ろしている。
一見やる気のなさそうな構えだが、雪流に不満な様子はなく、むしろ表情をひきしめている。
「ゆきにぃ、開始の合図は?」
いつもと違う低い声音で、雪流。
「好きなときに仕掛けてきていいよ」
雪乃の声はいつもと変わらぬ穏やかな調子で、口元にも笑みが浮かんでいるが、目はわずかな動きも見逃さないように
雪流を睥睨している。
「それじゃあ…」
雪流は握った両の拳に力を込めて、腰を軽く落とすと―――
「いくよっ!!」
裂帛の気合とともに、一気に雪乃のもとへと踏み込んで肉薄する。
(さすがに、はやい…)
一瞬で間合いを詰めてきた雪流の速さは驚嘆させられるが、雪乃は慌てることなく迎え撃つために拳を構える。
すると、雪流は雪乃の目の前でステップをして、素早く左側に回りこむ。
だが、雪乃もその動きを読んでいたのか素早く雪流のほうへ振り向く。
「はぁ!」
雪流は雪乃の顔面めがけて、拳を繰り出す。
その先手の一撃を、雪乃は左腕を振り上げて安々と受け止めてた。
雪流は、ぐっと奥歯を噛んだ。
防がれたのは何も意外ではないが、全くダメージを与えれた様子がないからだ。
そのとき、雪流の視界に何かが閃いた。
それは雪乃の右の拳だった。
「くぅ…!」
雪流は慌てて首を曲げて避けると、切るような鋭い風が頬を撫で、拳が行過ぎていく。
雪乃は自分の攻撃が外れると、拳を引いて、間合いを取るために後ろへ飛び退く。
その動きを見た雪流は、反射的に地を蹴った。
半瞬の後、再度肉薄するふたりだが―――
雪乃は着地した直後であるのに対し、雪流は既に拳を繰り出そうしている。
(―――!?)
雪乃は避けることも反撃することも間に合わないと見て、右腕を振り上げて閃光の如き右の一撃を防ぐ。
防がれたが、雪流は先ほどのように、止まることなく二発目の左の拳を放つ。
「ちぃ…!」
下がりつつ体を開いて、その一撃を避ける雪乃。
雪流は、避けながら間合いを取ろうとする雪乃の正面にすばやく回り込んで、密着するような間合いから
連続で短打を放つ。
雪乃は、まるで激しい雨のように降り注ぐ拳打を冷静に受け、あるいは弾く。
(なんていう速さだ…)
先ほどの踏み込みの速さといい、この拳打の雨といい…雪流の速さに、雪乃は内心、舌を巻く思いだった。
(これで、速度増加なしだもんなぁ)
雪流が術者の動きを素早くする術―――速度増加を使えば、その動きを目で捉えるのは、自分でも難しいかもしれない。
雪乃は、そんなことを意識の端で考えながら、雪流の拳打を的確に受け、弾き、避ける。
(だけど、動きがまだまだかな)
雪流の打撃は素早いが、直線的で見切りやすいのだ。
しばらくの間、そのような攻防を繰り返していると、雪流の手数が徐々に減り始めた。
攻撃が一度も雪乃を捉えることなく、防がれている焦りと、連続で拳を放ちつづけいてるための疲労が、雪流の手数を
減らしているのだ。
逆に雪乃は、雪流の放つ攻撃は速さはあっても威力に欠けるので、ガードが鈍ることはない。
(このままじゃ、だめだ…)
雪流は、歯を食いしばって雪乃を睨みつけた。
額に珠のような汗を浮かべて、息を切らしている雪流に対し、雪乃は口元に笑みを浮かべていて、息もそれほど乱れてはいない。
このままでは、攻め疲れしたところを反撃されて終わってしまう―――そう思った雪流は
(勝負に出る…!!)
拳打を止めて、手刀に構えた右手を顔の前に運ぶと、勢い良く水平に薙ぎ払う。
雪乃は、わずかに後ろへ退いて手刀を避けると、反撃に出るために構え―――
「せぇぇぇいっ!!」
雪乃が反撃の構えをとるより先に、雪流は手刀を放った勢いに乗って半身を捻ると、左足を振り上げながら体を引き戻し―――
渾身の上段回し蹴りを放つ。
「ぐぅ…!」
雪流のコンビネーションに、雪乃は慌てて左腕を振り上げ、辛うじてこの一撃を防ぐ。
左腕が痺れるように痛んだが、大技を放った後の隙を逃すわけもなく、雪流の足を振り払うと、一歩踏み込んで拳を放つ。
雪流も素早く体勢を立て直して、再度攻撃に出ようとしたが、雪乃のほうが速い。
受けるか、避けるか…雪流はそのどちらも選ばずに―――
「な…!?」
雪乃が驚愕の声を上げる。なぜなら、雪流は上へ跳んだからだ。
(この状況で、上へ逃げるとは…なんて判断力だ)
判断もさることながら、それを実現する身のこなしも驚くべき物だ。
雪流は踵の下に気弾を生むと、それを蹴って宙空で回転しながら、雪乃の真後ろに着地する。
着地すると同時に、至近距離でこそ有効な技、発勁を雪乃の背中に向けて放つ。
(決まった…!)
発勁を放った瞬間、そう思ったが―――突然、雪乃の姿が視界から消えた。
「え…!?」
どこへ…?
そう思ったのも一瞬、雪流は腕を掴まれて気づいた。
雪乃がしゃがんで、避けたことを―――
そして気づいたときには、腕を引かれて、腰を落とした雪乃の背中に背負われるような形になっていた。
「し、しまっ…」
雪流が逃げようと振りほどく前に、雪乃は勢い良く立ち上がり、その勢いに乗ったまま一気に雪流を投げ下ろ―――
さずに、途中で勢いを止め、ゆっくりと投げ下ろした。
なので、雪流はすとん、と雪乃の前に両足から着地した。
「勝負あり、だね」
後ろを振り向くと雪乃がにこにこしながら、ブイサインをしていた。
「うぅ〜、また負けちゃったー」
力尽きた雪流は、その場にぺたん、と腰を降ろした。

かーん かーん かーん

それと同時に、朝の修行の終わりを告げる鐘の音が鳴り響いたのだった。

 

 

「まぁ、速さはすごかったけど、動きが直線的だったのが、おしいかな」
練武が終わった後、中庭のベンチに腰掛けた雪乃が、腕組みしながらそう言った。
「むー…」
雪乃の隣に座っている雪流は、その言葉に難しい顔をして唸る。
ふたりは中庭のベンチで休憩しながら、反省会をしているのだ。
「それに、闘気もほとばらせすぎ。あれじゃあ、動きを読まれちゃうから、自慢の速さを活かせない」
と、更に言葉を続ける雪乃。
「むむー…」
雪流は眉間にしわを寄せて、更に唸る。
「まぁ、でも…あの手刀から回し蹴りのコンビネーションと、発勁までの動きは良かったぞ」
そう言いながら、雪流の頭を撫でる雪乃。
「うー…でも、ゆきにぃにあっさり防がれたよ」
ぷぅ、と頬を膨らませて不満げな声を上げる雪流。
「あはは。わたしに当てるのは、まだ早いよ」
と、言って雪乃はベンチから立ち上がる。
「あれ、どこいくの?」
「そろそろ、ふれふれのとこに行こうかと思って」
「ふぅん、ごゆっくり」
唇を尖らせる雪流に、雪乃は少し困った表情を浮かべて、
「何か誤解してないか?」
「べっつにー」
雪流はぴょん、と勢いよく立ち上がると、
「ゆきにぃは、女の子の友達多いしね」
腕組して、したり顔で、うんうんと頷く。
雪乃は「やれやれ…」と嘆息して頭の後ろを掻いた。
たしかに、雪乃は女性の友人が多いほうだ。
が、付き合うとか、そういうことは全くなく、ただ女性に対する態度が甘いせいでよくナンパ師などと、からかわれている。
「とりあえず、わたしは行くよ」
「ん、ゆきにぃ、また後でね」
ぱたぱた、と手を振る雪流に見送られて、雪乃はその場を後にした。





雪流と別れた雪乃は、フレークの待ついつもの場所―――資料棟にある小部屋の前にたどり着いた。
コンコン…
雪乃はノックをしてから、ドアを開いた。
部屋は狭く、現在は使われていないためか調度品はおろか窓にはカーテンもない。
だが、時折掃除をしているため埃が積もっているというはなく、一見閑散としているが冷たい感じはせずに生活感がある。
なぜなら―――
「あ、ゆっきー」
と、手にじゃれつく白い猫を撹乱していたフレークが顔を上げる。
白い猫も雪乃に気づいたのか、フレークの手にじゃれつくのをやめると、振り向いて「にゃ〜」と挨拶のような鳴き声を上げた。
宿屋暮らしで、自分の家を持たないフレークは、雪乃にこの空き部屋を提供してもらうことで、拾ってきた猫たちを飼っている。
「おはよ、チュール」
雪乃は、白い猫―――チュールに挨拶を返すと、部屋の隅に目を向ける。
そこには、丸まって寝ているブチ模様の猫がいた。
「トールは、礼の如く寝てるのか」
「うんー。あの子は、お昼寝好きだから」
と、頷きながらフレーク。
「ふれふれと同じで、よく寝るよねぇ」
雪乃はしみじみとした口調で呟く。よく寝る、というのは不貞寝を指している。
「むー」
それがわかったフレークは、ぷぅと頬を膨らませる。
「あはは…。そういえば、ロキは?見当たらないけど」
その様子を見た雪乃は苦笑しながら、問いを振る。
「…」
フレークが何かを言おうと、口を開きかけた瞬間…
トタタタ…ッ
という、軽やかに廊下を駆ける音が室内に響いた。
「―――ッ!」
雪乃が振り向くよりに先に、それは背中に飛びついた。
「って、いててて…!」
雪乃は背中に鋭い物が食い込む痛みに、声を上げて悶絶した。
「ふれふれ、なんとかして…」
くるり、とフレークに背を向けると、黒い猫が四肢をつっぱり、爪を立てて背中にしがみついていた。
黒い猫―――ロキは、寝てばかりののんびり屋のトールや甘えん坊のチュールとは違い、いたずら好きのやんちゃ坊主である。
なので、今回はドアの影に隠れて隙をうかがい、人間を壁に見立てて駆け上ることにしたようだ。
「ロキ、おいたはダメ」
フレークはロキの首ねっこを掴んで離そうとすると、ロキは踏ん張って抵抗する。
「いてて…っ!」
更に爪が食い込み、雪乃は苦悶の声をあげる。
「ぶにゃ〜」
だが、ロキの抵抗もむなしく、あっさりと持ち上げられてしまう。
不満そうな鳴き声をあげていたが、フレークの腕に抱かれると大人しくなった。
「やれやれ…」
ため息とともに、振り返る雪乃。
「ごめんね、ゆっき」
フレークは、申し訳なさそうに上目遣いで雪乃を見上げた。
「まぁ…ロキのいたずらには慣れてるし―――」
と、途中で言葉を切って、雪乃は柔らかな笑みは浮かべる。
「どうしたの?」
「いや、いいねぇって思ってね」
雪乃の言葉の意味が解らず、フレークは首を傾げた。
「そうやって猫を抱いてると、美人が3割増しだなって思ったの」
その言葉に不意を突かれたフレークは、軽く目を見開き、パチクリと瞬きした後、
「あぅー…」
頬を赤く染めてうつむいてしまった。
「―――…」
フレークは、そんな自分の様子を見て、あははーと笑う雪乃に「そんなこと言うから、ナンパ師とか言われるんだよぅ」と言ってやりたかったが
上手く声が出てこなかった。