『ねぇ、あなたは…名前、何にするの?』

不意に、その言葉が脳裏をよぎった。
それは、ある冬の日の、自分とあの少女の始まりの言葉。

「あれから、もう三年か…」

いや、まだ三年しか経ってないのかな…。

もう三年経ったのか。
まだ三年しか経っていないのか。

どちらなのだろうか―――

この三年間は色々なことがあった。
騎士を辞した後、トーマス神父とラピス司祭の勧めでプリーストになった。
それに、屋敷を引き払って、ふたりの妹たちと郊外の一軒家で暮らすようになった。
新しい職場、新しい生活、そして出会い―――本当に、様々なことがあって、めまぐるしく環境が変わった。
それらの事を見れば、三年も経ったように感じる。

でも、わたしの心は変わっただろうか―――

そうでないのなら、まだ三年しか経ってないと…言えるかもしれない。


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Ragnarok Online ShortStory  01話「ノーザンナイン」


ミッドガルド大陸全土を巻き込んだ神魔の戦いから約千年もの時が過ぎ、神魔の争いから解き放たれた人々は訪れた平和を享受し、繁栄の道をひたすらに歩んでいた。
そして平和な日々が続き、文明が発展していく中で、いつしか人々は神魔の戦いを忘れ去っていった。

が、しかし…世界に異変が訪れ、安息の日は終わりを告げようとしていた。
今まで、人里から遠くはなれた森や山々でひっそりと暮らしていたはずの魔物たちが、人を襲うようになったのだ。
最初は森や山に踏み込んだ旅人を襲う程度だったが、やがて魔物たちは人里にも現れるようになり、人々の不安はたちまち大陸全土に広がった。

事態を重く見たルーンミッドガッツ国王トリスタン・プロンテラV世は、魔物たちが凶暴化した原因と世界各地の異変の調査のために冒険者を奨励。
これにより、冒険者たちは正義感から、または富や名声を求め…各々の目的のために旅立っていった。

今はそんな時代なのである――――




新生暦4104年。ルーンミッドガッツ王国の暦で言えば建国暦997年、宝瓶宮(アクエリアス)の月。
冒険者の奨励策が発布されてから、約ニ年。
未だ、魔物の凶暴化の原因が明らかにならない中、ルーンミッドガッツ王国領内で魔物の異常発生の報告がされた。
頻繁に魔物たちが各都市に攻め入るようになり、多くの冒険者たちが消息を絶ち、さらに度重なる魔物との戦により、王国軍・プロンテラ騎士団は疲弊し始め、
王国領はかつてない不安と恐怖に包まれた。

この事態に対応するために宰相チャールズ・クロイツは、義勇軍を募り、諸侯の私兵と王国軍を併せた連合軍の組織を提唱。
首都防衛は近衛兵団に任せ、両軍を魔物の討伐に当たらせた。
さらに、プロンテラ騎士団内に原因調査のために特殊部隊を配備。
この部隊は騎士団員を中心に、大聖堂や各ギルドの協力を得て人員を徴収し、3〜5人の小隊に分けて、王国領内各地を調査させることにした。


しかし、原因調査は難航し、事態の進展はないまま、既に一ヶ月の時が過ぎようとしていた。



建国暦997年、双魚宮(パイシーズ)の月。

日が長くなり、吹く風から冬の冷たさが薄れ初め、春の訪れが近いことを感じ取れるようになった。
しかし、首都プロンテラと国境都市アルデバランの間を隔てる天険のミョルニール山脈には、未だに冷たい風が山肌を撫でるように吹き降ろしていた。

「さむーい…ファイヤーウォールかファイヤーピラーで暖をとりましょうよ」

と、微かに震える声で、懇願するように言い募る少女の声。

「先程、私がファイヤーピラーを使って休憩をとってから、まだ10分と経ってませんよ」

呆れたように、ため息まじりに紡ぎだされた凛とした女性の声。

「ミズカちゃん。がんばって我慢だよ」

「うんうん。あんまり立ち止まってばかりで、先に進まないんじゃ困るしね」

続いて、なだめるような女性の声と、苦笑まじりの少しトーンが高めの男の声。
魔物が大量発生して以来、訪れる者のほとんどいない山脈を四人連れのパーティーが北へ…アルデバランの方角へと進んでいた。

「ここらへんは、魔物はあんまりいないみたいだね」

わずかに雪が積もり、滑りやすくなった岩肌に気をつけながら、キョロキョロとあたりを見回す騎士の青年。
彼の名はユキノ・ムツキ・シュトラーセ。身長は170cm足らず、顔たちは細面で童顔というより女顔であり、肌と髪は雪のように白い。そして、柔らかい光を湛える大きめの瞳の色は碧。
それらは、美少年というより、美少女といったほうが合うような印象を彼に与えている。
ちなみにシュトラーセ家は下級ではあるが貴族だ。しかし、あえてユキノは貴族を表す『フォン』ではなく母方の性の『ムツキ』を名乗っている。

「そうね…もっとアルデバラン寄りとか、廃坑のあたりのほうがいるのかもね」

ユキノの言葉に相槌を打つのは、プリーストのアリス・メリル。
背はユキノより少し低い160cm。端整な顔はどこか幼さを残し、まっすぐに下ろした長く絹のように艶やかな黒髪が印象的な少女である。
アリスはユキノよりひとつ年上の19歳で、彼のお姉さん役みたいな面もある。

「何にしても…冬の山で何日も過ごすような事態にはなりたくないものです」

と、自分の傍らを歩くローグの少女に冷たい目線をくれてやりながら呟くウィザードの女性。
ちなみに、ミョルニール山脈での調査は今日で三日目である。

「だってですよ、オニキスさん。寒いのってイヤじゃないですかぁ」

「ミズカさん…寒いのは私も苦手です。ですから、こんなところでグズグズしてないで、早く任務を済ませたいのですよ」

並んで歩くユキノとアリスの後ろで、そんなやりとりをするオニキスと呼ばれたウィザードの女性と、ミズカと呼ばれたローグの少女。
オニキス・マグナ・レータは、歳の頃は二十歳前後。170cm近い長身の、眉目の整った顔たちの美人であり、長い黒髪を後ろで結っている。
また、瞳の色が黒曜石のように黒いことから、『黒曜の大魔道士』と呼ばれている。
そして、寒い寒い、と繰り返してるミズカ・エクールは、年の頃は15、6歳で、4人の中でも150cm半ばと一番背が低く、青い髪をショートヘアにした可愛らしい少女である。

「だいたいですね…ローグは薄着なのですから、もっと厚着をしてくればよかったんですよ」

「うぅ…でも、ローグとしてのスタイルを曲げるわけには」

と、肩をすくめていうオニキスと、自分の体を抱きしめながら言うミズカ。
ちなみに、四人ともロングコートを甲冑やローブの上から着ている。

「支給品のロングコートじゃイマイチかもね…ミンクのコートなら、もう少し暖かかったのかな?」

「まぁ、そうかもしれないけど…騎士団の予算はそんなに余裕ないから、なるべく安いものになるんだけど」

小首を傾げながら訊いてくるアリスに、ユキノは苦笑しながら答える。

「なら、自費でミンクのコートなり、何か防寒具を買ってくるべきでしたね」

「そうですねー…」

オニキスの言葉に、俯き加減で元気のない声で相槌を打つミズカ。
そんなミズカの様子をみて、オニスキはやれやれ…と軽く頭を振ると、両手の神官の手袋を外して、ミズカに差し出した。

「オニキスさん…?」

「その手袋でも、気休め程度にはなると思いますよ」

「あ、ありがとうございます…!」

さっきまでとは打って変わって、顔を輝かせて手袋を嵌めるミズカ。その様子を見て、オニキスは一瞬だけ相好崩すと

「晴れてるだけ、今はマシなほうですね」

空を見上げて呟いた。
晴れ渡り、澄んだ青空に、太陽が煌々と輝いているが、冷たい空気と風のせいか、あまり陽の暖かさを感じられなかった。
といっても、曇っていたり、吹雪いているにの比べれば、雲泥の差があるのだが。

「そうだね。山の天気は変わりやすい、と言うし…吹雪いてこなければいいけど」

一度、空を仰ぎ見てからユキノ。

「うん。でも…寒いトコで任務って、ノーザンナインって名前に合ってていいんじゃない?」

同じ様に空を仰ぎ見て、冗談っぽく言うアリス。
ノーザンナインというのは、プロンテラ調査大隊北方第9小隊の通称であり、ユキノたち四人は魔物異常発生の原因調査のために設立された部隊のメンバーである。
隊の名前に『北方』と入ってるいるが、今まで任務に当たった地域はフェイヨンだったり、イズルードだったり…と部隊名にある『北方』の調査はなかった。
故に、北方での任務は今回が初だったりする。

「えー…だからって吹雪は嫌です」

ミズカは、祈るように手を組んで上目遣いに空を見上げる。吹雪いてきませんように、と思いながら。

「ミズカちゃん。足元、気をつけないと危ないよ」

「あ、はい」

ミズカは、アリスの言葉で我に返ったように頷くと、慎重に歩き始めた。



そうこうしているうちに、やがて一向は山脈の中腹部の吊り橋の前に辿り付いた。
プロンテラからアルデバランのルートに吊り橋はないのだが、真っ直ぐに北上せずに西へ迂回することにしたため、廃坑へと続く山道に来ていた。

「吊り橋を渡る前にちょっと休憩しませんか…?」

「そうだね…さすがにクタクタだよ」

はぁはぁ…と白い息をつきながら座り込むミズカとアリス。

「たしかに、そろそろ休憩を取るべきかな」

と、へたり込むふたりを振り返って相槌を打つユキノ。
寒い中とはいえ、ずっと山道を歩いていたため、四人とも汗で衣服が肌に張り付いていた。

「汗かいてるから、体が冷えてしまうな…」

と、呟いた途端、ぶるっと体を震わせるユキノ。
立ち止まっていると、冷たい風が火照った体から熱を奪っていき、汗が体を冷やしてしまう。

「オニキスさん、ファイヤーウォールかファイヤーピラーで…」

と、言いかけて言葉を止めるユキノ。
つい先程まで側にいたはずのオニキスの姿がないのだ。

「オニキスさんは…どこへ?」

「ユキノ、吊り橋のとこ」

キョロキョロするユキノに、吊り橋のほうを指差すアリス。
オニキスは吊り橋を半分ほど渡ったところでしゃがみ込んでいた。

「あんなとこで、何を…」

ユキノは、そう呟くとオニキスのもとへ歩き出した。
一歩、一歩、確かめるように慎重な足取りで橋を渡り、オニキスのもとに辿り付いた。

「オニキスさん、どうしたんですか?」

「下を見てください。どうやら、迂回して正解だったようですよ」

ユキノの言葉に、振り返らずに答えるオニキス。
オニキスの言葉に従い、彼女の肩越しに覗き込んで見ると―――

「げ…すごいことになってますね」

唖然としたように呟くユキノ。
この距離でも見えるほど大きな赤い塊のようなものが、吊り橋の向こう側―――隣の山の麓で蠢いているのだ。

「あれ…アルギオペですよね」

「そうですね…すごい群れです」

オニキスは、半ば呆れたように感嘆の息をもらして相槌を打つ。

「あの群れ…どこへ向かうと思います?」

顔をしかめて問うユキノ。
苦々しい表情をしているのは今後の事態を憂慮しているためではなく、大量のアルギオペの図を脳裏に描いてしまったからだ。

「西へ向かいゲフェンか…北上してアルデバランか…いずれにしても、あまりよくない事態になりそうですね」

グラストヘイムに近いため王国領で最も魔物に狙われているゲフェン、シュッツバルト共和国との国境に近いアルデバラン。
どちらに向かうにせよ、あの数のアルギオペが攻め込めば、大きな被害が出ることを予想できる。

「アルデバランの方へ来られると厄介ですね…下手をすれば、首都と分断されてしまう」

「ええ…とにかく、一刻も早く報告するために戻りましょう」

と、オニキスが立ち上がり、ユキノがそうですね、と頷いたそのとき―――

「ユキノーーーっ!!」

「オニキスさ〜〜〜ん!!」

アリスとミズカのふたりを呼ぶ悲鳴が響いた。
悲鳴のした方―――後ろを振り向くと、アリスとミズカに魔物が迫っていた。

「アリス!」

ユキノとオニキスはふたりのもとへ急ぎ駆け出した。



ゴトッ……

首を失った人型のカマキリ―――マンティスが重い音を立てて崩れ落ちた。
ユキノとオニキスがアリスとミズカのもとに駆け付くのと同時に、ミズカの振るった短剣がマンティスの頭を跳ね飛ばしていた。

「遅いですよ、二人ともー」

と、アリスを庇うように、彼女の前に立ってスティレットを構えているミズカ。

「遅いって…そうでもないでしょ」

ユキノは油断なく迫り来る前方の魔物たちを見据えながらも、苦笑して答える。
10メートルほどの離れた位置に赤い大きな芋虫、アルギオペが5匹。更に後方から白い幼竜、プティットが4匹飛来してくるのが見える。
足の遅いアルギオペよりマンティスのほうが先に辿り付いたのか、ミズカの手で葬られたマンティスの亡骸が数体、地面に転がっていた。

「向こうの山の麓に、大量のアルギオペを確認しました。ここは手早く片付けて、すぐに首都へ戻りましょう」

朗々とした声で告げられるオニキスの言葉。
その言葉に―――アリスとミズカはアルギオペのことで軽く目を見張ったが―――他の三人は頷いた。

「ボクが引きつけるから、その間にオニキスさんは攻撃呪文を、アリスとミズカは援護を!」

そう言うと、ユキノは腰に挿した鞘から大剣―――クレイモアを引き抜いた。
シンプルな十字型の柄には、プロンテラ騎士団の紋章である獅子のレリーフが刻まれている。

「出でよ! 我が杖! スタッフオブソウル!!」
「出でよ! 我が杖! アークワンド!!」

オニキスの左手が赤く光り、その手の中に杖が出現する。
また、アリスは逆に右手が青く光り、手の中に杖が現れる。
術者は手にロッドを仕込んでいて、それを呪文とともに呼び出すことができるのだ。
一方、ミズカはスティレットを鞘に収めると、クロスボウに持ち替えて、矢をつがえた。

「いくぞ…ッ!」

ユキノはロングコートを脱ぎ捨てると、クレイモアを下段に構えて、マントを靡かせてアルギオペに向かって一気に駆け出した。

「こらー、ユキノ!地面に落とすから汚れちゃったじゃない!」

と、ユキノが脱ぎ捨てたロングコートを拾い上げて、土をはたきを落としながらアリス。
アリスの叱責に、ユキノはつんのめりかけたが、気を取り直して間合いを詰めていく。

「天を裂く雷光よ…」

風属性の術、サンダーストームの詠唱を始めるオニキス。
彼女の足元に緑色の光の線が走り、魔法陣を描いていく。

「ハッ!!」

ユキノは下段に構えた剣を振り上げると裂帛の気合とともに、身を振起して攻撃しようとするアルギオペに向かって振り下ろした。

ザシュ…!

ユキノの放った斬撃はアルギオペの頭部を両断した。
アルギオペは毒の混じった紫色の体液を流しながら崩れ落ちた。
仲間の仇、とばかりに残りの四匹がユキノに殺到しようとしたが―――

「ホーリーライト!」

「ダブルストレイフィング!!」

アリスの放った十字の残滓を残す白い閃光と、ミズカの放った二条の矢がアルギオペの動きを阻んだ。
ユキノはこの隙に一歩後ろへ退くと、すぅ…と息を吸って、クレイモアを最上段に構えると

「マグナムブレイク!!」

勢い良く振り下ろして、剣先に集中させた剣気を炎に変じさせて炸裂させる剣技マグナムブレイクを放った。
ゴォ…!と巻き起こる烈火に押し戻されるアルギオペ達。
そのとき、炎に押されるアルギオペの上をプティットたちが飛んでいく。

「ボウリング…バッシュ!」

ユキノは下段に構えた剣を振りかぶって、騎士が誇る最強の剣技ボウリングバッシュを放つ。
迫り来るプティットではなく、足元に転がるアルギオペの死骸に向かって―――

「ナイスショット!」

ゴルフのスイングのように放たれたボウリングバッシュに、茶化すような歓声をあげるアリス。
ユキノの放ったボウリングバッシュよって打ち上げられたアルギオペの巨躯にプティットたちは打ち落とされ、地面に叩きつけられた。

「オニキスさん、今です!」

と、声をあげるミズカ。
詠唱の完了したオニキスは杖の先端を魔物たちのほうへ向けると―――

「サンダー…ストーム!!」

起動呪である、『力ある言葉』によって術を発動させた。
ドォン!という轟音とともに、魔力の雷が降り注ぎ―――

ばぢばぢばぢばぢばちっ!

降り注いだ雷はその身を刃に変えて荒れ狂い、アルギオペとプティットを灼き刻み、打ち砕いた。

「相変わらず、すごい威力ですね…」

閃光から目を守るために顔を覆っていた腕を下ろしながら、感嘆の息をつくユキノ。
焼け焦げた地面には、原型を留めない炭化した黒い欠片が転がっている。

「みなさんのおかげで、術の威力を高めるのに専念できたからですよ。それより、追加が来ないうちに引き上げましょう」

こくん、と頷くとアリスは懐から、青い石―――ブルージェムストーンを取り出した。
高度な術の中には、術者に反動が及ぶ物があり、この石は術者の反動を肩代わりしてくれる性質を持っている。
アリスは目を閉じると、精神を集中させて呪文を唱え始める。

「ワープポータル」

力ある言葉とともに、青白い光の柱が生み出された。
術を発動させるのと同時に、ブルージェムストーンが音もなく砕け、砂になって風に流されていく。
ワープポータル。術者の想起した場所へと一瞬で移動することができるく法術で、空間を操る術のため安定させるのが難しく、使いこなせる術者は少ない。
アリスはその数少ない術者のひとりであり、プリーストの中でも一流の法術使いなのだ

「さぁ、プロンテラに戻りましょ」

ユキノたちは順々に光の柱の中へと吸い込まれていき、最後にアリスが入ると、光はかき消える。
それから程なくして、彼らは王家と名を同じくする首都、プロンテラへと舞い戻るのだった。